13年ぶりの猫のいない生活

今日ハリーの葬儀を終えました。
もう家に帰ってきても猫はいないんだよね。
家の大きさが変わった訳でもないのに、やけに広く感じてしまう…。

今の心情を吐露する前にまず小次郎君とハリー君との出会いから触れてみたいと思います。

1999年9月初め夜、家の周りで猫がやたらニャーニャー鳴いているので見ると生後2ヶ月くらいの仔猫が庭に。
ミルクを上げるとぴちゃぴちゃ飲んで去っていきました。
ところが、その翌朝もその仔猫の鳴き声が近所で聞こえる。
どうも母猫を探し回って鳴いている模様。
母に相談して、二人で見に行くと母がそのかよわい仔猫を見て、「このままでは死んでしまう」と魚捕り網で捕獲。

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当初は近くの動物病院に写真を貼り出して飼い主を募ったのですが引き取り手も現れず、
そうこうしている内に家の中に取り込んで愛着も湧いてきて。
結局貰い手もなく我が家のネコとなった小次郎君。
今にして思えばそれも含めてそうなるご縁だったのかも知れません。

室内で飼うことになった小次郎君はスキを見て3度脱走したので、
逃がさないように網戸に防犯ロックをつけるなど工夫をしました。
初めて猫を飼うとあってトイレなど道具も揃えたり、分からないことも多くていろいろと大変でした。






そして、小次郎と出会って約1年後。
敷地の物置そばでゴミをあさっている猫を母が見つけます。
お腹が減っているのだろうと、母が小次郎に与えていたドライフードを与えると
「フーッ!!」と威嚇しながらも食べました。それがハリーでした。

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既にその時には大人で動物病院に連れて行くとおそらくその時点で1歳くらいだろうと。
つまり小次郎君とほぼ同い年です。それも何かの縁なのかも知れませんね。

ハリーはどこかから流れてきた野良猫で、すでに風格も充分。
体重は一番重い時で5.7kg。
近所のネコによくケンカを売るやんちゃ坊主でした。
また我が家でエサをやっているにも関わらず、
よくゴミを漁っていたらしく身体に焼きそばが付いていたり、
買い物カートからパンを盗んで袋を食い破って食べていたり、
何ともワイルドな猫でした。

かと思うと物置を踏み台にしてトイレの窓からよく中に入れてくれ、と網戸に頭を押し付けて来て、
開けてやると我がもの顔で家に入り、よく家族の足の間に挟まって2時間ぐらい寝るとまた外に出ていく、
という顔に似合わず甘えん坊な面も。

対照的に小次郎君は気の弱い温和な猫で、
ハリーが入ってくるとビビって恐る恐る近づいて臭いを嗅ぐとハリーに殴られそうになって
あわてて逃げる気の小さな猫でした。
でも、頭は良くて自分の名前が呼ばれると必ず返事をしたり、どこからか現れたり。
お手とおかわりもちゃんと覚えました。
家人が外出から帰ると必ず玄関までニャーンとお出迎えに来るし、
寒い季節は母と枕に頭を並べて一緒に寝る、本当に子供みたいな存在でした。

小次郎とハリーの違いがよく分かるエピソードとして、
脱走防止の為に居間の出入り口にロール式網戸を設置したのですが、
小次郎は一番下にわずかな隙間を見つけて難なく脱走。
一方のハリーは網戸の構造など考えずにただ大きな頭を押し付けて強行突破を図るのみ(笑
頭脳派と体力派という好対照な2匹でした。


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そんな2匹も昨年8/11に小次郎、そして2日前の3/10にハリーが旅立ちました
葬儀から帰ってきても我が家に猫の影はなく。

猫が上がる場所には物を置かないようにする、
ネコがコタツに入ったら(温風が噴き出るのが嫌いみたいなので)電源を切る、
ネコが脱走しないようにホームセンターの材料で作ったお手製の内扉、
ネコに狙われるので、魚のお刺身はガマンする、
毎日のネコのトイレの始末、寒くても外を見たがるネコの為に冬でも窓を開ける…etc

そんなネコへの配慮や設備も今は全て空疎な意味のないものに……。
今打っているキーボードの上にもよくネコが乗ったり踏んだりして意図しないキーが押され続けたりしましたっけ。

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24時間家での点滴の際は3時間おきぐらいに起きて、
寝たきりハリー君の排泄の後始末。

でも、今はそんな不自由から解放されてしまったことが逆に寂しく思えます。
本当にネコが生活の一部になっていたんだな、とつくづく思い知らされます。
別にネコの為に生きていたつもりは無いけれど、
ネコがいる事で生きることに張りと言うか潤いみたいなものがあった気がします。
ペットなんて人間のエゴで飼っている、と言われればそうなのかな、とも思います。
ペットを飼養していることで満足感を得たり、ペットに頼られていることで自分の存在意義のようなものを感じたり。
でも、そんな人間のエゴであってもそれによってそのペットがほどほどに幸せな一生を送ることができるのならば、
それで良いと私は思います。
愛猫を失ったショックからよく分からないことを書いてしまいましたかね。

思うところはいろいろあるけれど、今はただ13年間いろんな思い出をありがとう。小次郎、ハリー、ありがとう…。

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この記事へのコメント

2012年03月18日 19:00
ずっと家族だった子達を亡くし、喪失感並大抵じゃないと思います
最後をちゃんと看取ってくれて、二匹ともほんとに幸せだったと思います
思い出もずっと大事な宝物です
心からのありがとうに、ちょっと胸が熱くなりました
二匹で今ごろ仲良く走りまわってますね^^
2012年03月21日 00:10
暖かいコメントありがとうございます。
二匹で仲良く走りまわってる…そんな姿を思い描くと少し心が和らぎます(^_^

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